大きな虹

今日はコロナワクチンの2度目でした。午後3時半から4時半の予約でしたので、3時半に家を出ました。その頃から空は怪しくなっていました。1度目も順調に注射してもらいましたが、2度目はさらに順調で会場についてから30分くらいで帰ることができました。

しかし、帰路につく時には雨が降り出していて、家までの15分ほどカミナリと激しい雨の中をやっとの思いで帰りました。傘はあってもズボンの裾も上着の袖も、靴も靴下もびしょ濡れで小さな小さな災難にあったような気分でした。家について一息ついたら、空に大きな大きな虹。虹の大きさは雨の降り方に比例するのかと思うほどでした。

七色が数えられるほど

季節の色

私の個人的な印象なのですが、それぞれの季節にはその季節を代表するような色があるように思います。春なら黄色。たんぽぽ、菜の花、山吹と。秋は紫。野菊、桔梗、竜胆、紫苑など。今の時期はオレンジ色が目につきます。上水沿いを散歩していると野萱草、藪萱草、透かし百合、緋扇水仙などが緑の藪の中に目立ちます。先日は枯れ木に見慣れないオレンジ色のきのこを見ました。ちょっと毒々しい見た目で、一瞬ギョとしました。

ノカンゾウ
ヒオオギズイセン
ギョとしたキノコ

ワクチン接種

20日の日曜日に新型コロナ対応のワクチン接種に行ってきました。出遅れてまだ一回目ですが、とりあえずその後も何ごともなくて一安心です。同じ日にもう、二回目の方々もたくさん来ていていましたが、係りの人も大勢いてテキパキと進みました。私の2、3人前の80代半ばと見える男性の方が、接種券を持たずに来てしまったようです。係りの人があれこれ説明するのですが、家にあるかどうかも分からないというので、家の人に電話で聞いていましたが、探さないとわからないとのことのようで、結局その日はキャンセルということで帰られました。接種券と予診票が別々に郵送されてきましたし、75歳以上の人にはタクシー券も別に送られてきました。一緒に送ることは出来なかったのかなぁとも思いましたが、100年に一度の災厄です。対応する方々のご苦労も並大抵ではないのでしょう。高齢者と言っても、きちんと準備しておかないと、と思いました。

また、その接種券のところで、係りの人が「青い用紙に印刷されています」と説明されていましたが、あれは 青い のだろうかと気になりました。確かに赤でも黄でもありませんから青の分類でしょうが、空の青とか海の青とは遠く離れた薄い水色です。「ごく薄い青」とでも言ってあげた方が親切だったのではないかなとぼんやり経緯を眺めながら思いました。

雛デビューの季節

テレビやネットでカルガモの赤ちゃんがニュースになる季節です。玉川上水でも鴨をたびたび見かけます。初夏になっていつも見ていた一団をみかけなくなったなぁと思っていたら、ここのところ鴨の母さんが子連れで泳いでいるのを何度か見ました。いずれもすぐには土手に上がれないところをひと固まりになって一生懸命泳いでいました。玉川上水もコンクリートの擁壁のところと、木の根が土手を押さえているところとあるので何処かに卵から雛に孵化するための巣があるのでしょう。あっという間に大きくなって、親だか子だかわからないくらいになるのも時間の問題です。

 

1週間ほど前の親子
今日の親子

漫画 日本の古典 読了

孫に買ってやった全32巻、暇ひまに読んで漸く読み終えました。日本の古典文学を時代順にさらっと眺めた程度ですが、いろいろ気づくことがありました。一番何故と思ったのは日本が近代化するまで国民の大多数は農民だったのに、農民、農村を題材にした物が一つも無いことです。町民と言われる人々は江戸時代のものには書かれていますが。そこで私が思ったのは文字を持てた人々と持てなかった人々との違いかなということでした。古事記などは、天皇に近い特権階級の人の手になるものでしょうし、平安時代のものも貴族階級の人が著したものです。でも、女性の書いた物がいくつもあるのは素晴らしいことだと思います。そこにも農村農民は出てきません。武士の時代になるといよいよ軍記物ばかりになり、女性の作者も見当たらなくなります。ただお伽話には庶民、女子供がでてきます。そして、江戸時代になってやっと町民が主人公の話が書かれます。してみると、自分たちの生活、歴史、考え方などを記憶しておくためにはその道具となる文字を持っていることがいかに大切かということがわかります。江戸時代には寺子屋という教育システムが作られたようですが、それとても町民の子弟に施されたとあります。全国の子供に教育が行われるのは明治時代に入ってからなのです。

 今、こうして日々の出来事や思いを駄文に書いておけるのも、私が文字を授けてもらえた賜物なのですね。

 明治以降200年足らずで、これほどまでに文化文明が発達したのは、国民みんなが等しく文字を共有できたからなのではないかと強く思ったことでした。

珍しい。

いつも、草花を愛でながら散歩をしていますが、今日は珍しい動物を見かけました。一つはハクビシンだそうです。橋桁を動物がするすると渡っていて、猫?と思いましたが猫より大きくしっぽも猫よりずっと太く、えっ、何?と思っていたら近くにいた男性が、ハクビシンだと言っていました。近頃野生化したものがあちこちに出没して問題になっていますね。人が簡単に立ち入れない上水沿いの崖は住み着くにはちょうど良いのでしょうか、人家に入り込んだり農作物を食い荒らしたり迷惑動物らしいです。

もう一つはナナフシという虫の赤ちゃんです(多分)。木の切り口にあるゴミかと思ったらかすかに動くので、良くみると虫の赤ちゃんでした。昔、夫が孫息子のためにどこかから捕まえてきたことがあり、その時ナナフシという名前を知りましたが、あまり可愛いとは思えない虫でした。でも、自然の中で見る赤ちゃんには鳥に食べられず頑張ってねーと思いながらシャッターを切りました。

後ろ向きで顔が見えない
大きく見えるけど小さいの

取り込んでしまう。

散歩していて時々、樹木と防護柵が近すぎるなぁと感じることがあります。柵は動かないし、樹木は成長します。いつの間にか樹木が柵を包み込んでしまった場面に遭遇してビックリします。柵を避けて成長もできるだろうに金属やプラスチックを体内に取り込んでしまって、樹木の生命に影響はないのかしら。そういえば人体でも、銃弾や手術の際の忘れ物など、時々体内に異物が残ったまま生活していたというような話を聞いたことがあります。異物であっても我が身の一部として飲み込んでしまえば何事もなく生きていけるのでしょう。生命力に驚かされます。

取り込んだ後、切られたけど残った。
生まれたての枝の赤ちゃん

噂の東京マガジン

テレビのBS TBSで玉川上水が取り上げられていました。私も気になっていた樹木の伐採についての取材でした。主に小金井市の上水沿いで雑木が切られ、桜のみを残そうとしていることについての賛否についてでした。それを推進している人達は、江戸時代から小金井桜として史跡となっていたのに、雑木が増えて桜が負けてしまっているのでまた桜並木を復活させたいとの意向のようでした。伐採反対派の人達は、都会のオアシス、緑の散歩道として桜だけでなく雑木林としての価値を未来に向けて残して欲しいとの意見のようで、すでに桜だけにされたところでは雑木の切り株が並んでいました。小金井市と小平市の境の橋の上から両市の上水を見ると全く違っていてこのような問題のない小平市では鬱蒼とした緑が上水を覆っていました。この辺ではそういった問題は無さそうですが、私は桜ばっかりよりあれこれがある雑木林が好きです。

この辺りの問題かな

えっ、セミの抜け殻

いつもの散歩の折り返し地点の橋の上、ほぼ毎日のように見ている樹。蔦がからんで緑に覆われている幹の一葉にセミの抜け殻が残っていました。まさか今年のセミの物ではないでしょう。去年の遅くとも9月半ばくらいの物でしょうけれど、雨にも風にも負けず半年以上を持ち堪えていたとは。散歩の小休止の場所なので、ほぼ毎日のように見ていたはずなのに今まで気づきませんでした。きっと大きな葉っぱの蔭で守られていたのでしょう。葉っぱが落ちてしまい表に出てきたのでしょうか。そうなるといつまでこのままでいられるか、この週末の雨が気になります。

小さな抜け殻 ひぐらしかしら

早すぎるー。

 今年は暖冬だったせいか、冬の裸木が緑になるのも、花々が次々と咲いていくのも何かに急かされているかのようです。桜も例年なら彼岸桜が咲いてしばらくするとソメイヨシノなのに、今年は一斉に咲きもう葉桜です。日課の散歩に行くと「あれ、これなんだったっけ?」と気になる草花に出会います。先日も図鑑で見た覚えはあるけれど名前が分からない野草がありました。家に帰って調べたら   ひとり静か でした。写真を撮ろうと数日経って行くともう花は終わって葉ばかりになっていました。あれっ、と思ったらすぐに写真を撮っておかないといけないなぁと思いました。なので今日はあれっ、と思ったものはとりあえず写真を撮りました。十二ひとえ だろうと思います。

木々の緑もあっという間に緑を増して、五月には新緑とは言えない濃い緑になるのではないでしょうか。季節の移ろい、もう少しゆっくりで良いのになぁ。

葉っぱのみになった一人静か
十二ひとえかな?
白いスミレ
何だかわからないけど健気に咲いてる